クラウドファンディングが活況を見せている。コロナ禍の影響か、それとも別の要因か。プロジェクトを覗くと、最初のページに支援額が掲載されており、一目でその進捗を伺い知ることできる。私の知る範囲では、ことごとく目標達成しているので概ね好調という認識である。

例えば「ミレニアムブレード」。300万円の目標額をたった1日で達成し、2週間足らずで800万円もの資金調達に成功。支援額はまだまだ増えそうである。


他にもカイジュウ・オン・ジ・アース シリーズ第一弾「ボルカルス」は700万円。第二弾「レヴィアス」は1000万円の資金調達に成功している。


コロナの影響で公演中止となった劇団でも、クラウドファンディングは大いに活用されている。




上記例について、私の過去の実績と比べると、複雑な心境になるのだけれど、それはそれとして、この状況を考察してみようと思う。
 

お金2.0という本がある。資本主義から価値主義への転換を示唆している。今までは「モノ」に価値があって、「モノ」を所有することがよいこととされて来たが、それらはすっかり飽和して「モノ」を所有することは別によいことでもなんでもなくなってしまった。

価値主義では、「モノ」の代わりに「スキ(好き)」が主題として語られる。「スキ」がお金を生む仕組み、それこそが価値主義である、と。

「スキ」というのは、内面的な価値のことで、共感、熱狂、信頼、好意、感謝といった、これまで価値を推し量ることのできなかった概念のこと。人々から集めた「スキ」こそが「モノ」に代わる、新たな資産である、と。

そんな「スキ」を定量化する仕組み、それがクラウドファンディングなのではないだろうか。人々の「スキ」がお金に形を変えて、プロジェクトを成功に導く、と。

人々の「スキ」が実を結んで、社会が豊かになるのはよいことだと思う。が、成功事例だけを見ると、その様子があまりにも無邪気で、その無邪気さに、そこはかとない違和感を覚えるのだが...。

その違和感は、人々が共感し、熱狂し、信頼し、好意を向け、感謝すればするほど、私の中で大きく膨らんでゆく。

「待て待て待て、出資者の皆さん。そりゃ私も出資しているし、成功はしてほしいけどさっ! 何だろう、この胸のモヤモヤは。100万単位の金ってこんなにサクッと作れるもんだっけ? 腑に落ちなくないすか? どうして諸手を挙げて喜べるんですか? それ以外の感情湧きませんか? お願いすれば叶うって、イージーゲームすぎません? それとも俺だけですか?」単なる嫉妬なのかもしれないが。

「スキ」が資産なら、「キライ」といった負債もあるわけで。例えば嫉妬といった負債に対し、価値主義はどんな振る舞いを見せるのだろうか? 悪貨は良貨を駆逐する、じゃないけれど、人々の「スキ」が良貨なら「キライ」は悪貨になり得やしないだろうか? 

資本主義から価値主義への転換はニーチェのいう「超人」を生むかもしれないが、同時にひろゆきのいう「無敵の人」も生むと思った。