表紙

第1話

 日の当たらない廊下にヒールの音が響く。どことなく苛立たしさを感じさせるテンポだった。廊下の先には重厚な木の扉が待ち構えている。銀のプレートがはめ込まれ、警察署長室と刻印されている。その部屋へと向かっているのが靴音の主――黒猫のサラ・ハーディだった。
 
 ツンと尖った耳に凜とした瞳、しなやかな尻尾。上品なピンク色のシャツに細身のジャケット、スラックス。整った目鼻立ちから美猫と称されても良さそうなものだが、本人にその気はないらしい。一筋のルージュが、彼女の化粧っ気の欠いた相貌の中で際立っていた。その瞳は扉の一点に集中している。サラは拳を固め、部屋の前に立った。
 
 強めのノックを三回。返事はない。
「パグ署長。お話したいことがあります」
 やにわに相手の名を呼ぶと、扉の向こうからくぐもった声が聞こえた。
「……どうぞ」
「失礼します」
 そこはケモノひとりが居るには広すぎる部屋だった。サラが一礼して中に入ると、くたびれた様子の小男がひとりデスクに着いていた。サラが近づくと、小男はノートPCのモニタから顔を上げた。この男が部屋の主、警察署長のパグ・ワンだった。
「やぁ、サラ捜査官。私に一体何の用かね」
 パグは眠たげな目を差し向けた。端から聞く耳など持たない、と暗に言っているような表情だった。
「これを見て下さい、署長!」
 サラは懐から新聞の切り抜きを取り出し、デスクに叩き付けた。
「……ふむ。何々『高級娼婦殺人事件 無事に解決』か。今朝の新聞の一面だが、それがどうかしたのかね」
「どうかした、ですって? 署長、犯人が逮捕されたんですよ!」
「事件は無事解決。何か問題でも?」
 パグは興味なさそうに安楽椅子に凭れた。
「これは私が追っていた事件です。専任捜査官としての任務を与えて下さったのは、他でもない署長ではありませんか!」
「そうだった。そうだったな。まぁ、そう声を荒げないでくれたまえ」
「署長!」
 牙を剥くサラをパグは両手で制した。  
「サラ捜査官――君の言いたいことは私にも判る。手柄を横取りされて悔しいのだろう。だが、今回ばかりは相手が悪かったな。何しろ相手は連邦捜査局だ。我々、ケモノポリス市警では手足も出んよ」
 これで話はお仕舞い、と視線を逸らすパグにサラは食い下がった。
「この男が犯人のはずありません。だって被害者は一晩30万のコールガールなんですよ。現場は高級ホテルの一室。犯人と被害者を結びつける接点があまりにも薄すぎるんです。真犯人はきっと他にいるはずです」
 新聞の切り抜きには犯人の写真が掲載されていた。ケモノポリス最下層に住まう、みすぼらしい姿のネズミ族の男。見るからにホームレスといった風体だった。
「君のレポートなら読ませてもらったよ。だが、それについて私は何を話せばよいのかね。この議論はまるで無意味だ。犯人は連邦捜査局の連中によって逮捕され、事件は解決した。それ以上でも、それ以下でもない。違うかね?」
 パグは引き出しからフォルダを取り出した。新聞の切り抜きをフォルダに挟むと、それをサラに差し出した。
「では、私の任務はどうなるのですか」
「無論、こうなってしまった以上は解任するしかあるまい。サラ捜査官、現刻をもって『高級娼婦殺人事件』の特別任務を解く。以降、通常任務に戻ってくれたまえ」
「納得がいきません!」
 声を荒げるサラに、パグは首を横に振った。
「それならば今すぐそのバッジをここに置くんだな。そして私立探偵にでも転職したまえ」
 どれほど、そうしようかと思ったが、サラは拳を強く握り、喉元まで出掛かった言葉を飲み込んだ。
「判りました。もう結構ですッ!」
 サラはレポートの詰ったフォルダを受け取ると、パグに背を向けた。部屋を出るとき、不意に声が掛かった。
「被害者がネコ族だったから、情でも移ったのかね?」
 サラは振り返った。
「いいえ違います。これが私の任務だったからです」 
 そして、あくまで冷静に応じた。
「……青いな。怒りに駆られ、毛並みが逆立っているぞ」
  勢いよく閉ざされた扉に向かって、パグはため息交じりに呟いた。