ギャンパラ小説表紙

最終話 鉄と嘘 後編

 事務所の扉を開け、明りを点ける。デスクに着き、ジャケットの内ポケットから煙草と封筒を取り出した。引き出しを開け、中からウィスキーの瓶を取り出す。曇ったロックグラスに半分程注ぐ。ウィスキーを一口含み、煙草に火を点け、背もたれに身体を預ける。天井に向かって息を吐くと、煙がもやもやと広がった。
「……どう、すべきか」
 メリーアンドリューは封筒からカードを取り出し、宙に掲げた。そう、賽は投げられたのだ。ゲームはとっくに始まっている。
「この俺が、ボスの座を手に入れるには……」
 手持ちの駒について考えた。まず人員。階下のバーで働くギャングスタが三名。はっきり云って心許ない。次に資金。メリーアンドリューは咥え煙草のまま部屋の隅に据えられた金庫へ赴いた。
「金で人員を増強するか」
 金庫を開け、中にあった札束を取り出しデスクに積み重ねると、三段の小さなピラミッドが完成した。コパロンチーノのカジノなら三秒で稼ぎ出す額だろう。それがメリーアンドリューの全財産。これでは話にならない。
「さもなくば銀行でも襲うか」
 残るは武器。デスクの一番下の引き出しを開ける。ハンドガンが二丁、弾薬三ケース、手榴弾五発。
「……ムショ行きが関の山だな」
 メリーアンドリューの手持ちの駒はあまりにも頼りなかった。それでも闘わなければならない。もし、ゲームから降りるとなれば、高いアンティを支払う必要があった。闘わないのなら積み上げて来たものを全て捨て、この街から去るしかなかい。それがギャングの流儀というものだった。しかし、人員も資金も武器も、他の幹部と比べて引けを取る状況。どう、すべきか。堂々巡りする思考の中で、メリーアンドリューは深く紫煙を吐いた。
 
 不意に何かを考えるのはもう止めにしろ! という暴力的な音が響き渡った。階下からだ。ガラスが滅茶苦茶に割れる音だ。扉越しにまで聞こえるとなると、恐らくバーカウンターは、文字通り壊滅状態だろう。何が起きたのか――判らないが想像はついた。階下の連中が馬鹿騒ぎを始めたか? いや違う。抗争の幕が切って落とされたのだ。メリーアンドリューは引き出しから銃を取り出し、五発の手榴弾をポケットに詰め込み、立ち上がった。
 部屋の明りを消し、息を整える。腰を低くして、音を立てぬように扉を開ける。階段の踊り場は真っ暗だった。次の瞬間、音もなく頭上のドアノブがはじけ飛んだ。見事なまでの狙い撃ち。おまけに消音器付きだ。立位のまま扉を開けていたら、命を落としていただろう。だが、マズルフラッシュは見逃さなかった。
「畜生!」
 取りも敢えず、トリガーを引く。交渉の余地もないままに銃撃戦へと突入。闇雲に二発撃つと、正確な一発が返ってきた。顔から十数センチの地点に着弾するのを見て、メリーアンドリューは相手が殺しのプロであると悟った。となると、もはや部下の命は絶望的だった。メリーアンドリューはポケットから手榴弾を取り出し、口でピンを引き抜き、階下へと放り投げた。
「ダメな社長で悪かったな。トム、ディック、ハリー」
 手榴弾は、ガン、ゴロン、ガンと音を立てながら階段を転げ落ち――炸裂した。轟音と共にビル全体が揺れ、もうもうと煙が階段をせり上がる。これに乗じて階段を駆け昇り、三階の踊り場へ。辿り着くや否や、二発目、三発目のピンを抜き、再び階下へ。このビルの壁の脆さならよく知っている。二発目、三発目が炸裂すると、さっきまで居た踊り場の壁が崩れ落ち、階段を塞いだ。
「これで上へは昇ってこれまい」
 メリーアンドリューはそのまま最上階へと駆け上がり、錆び付いた塔屋の扉を開けた。
 
 ビュウと吹く真冬の風も、上気した身体には心地よかった。古い雑居ビルがひしめき合う地帯。屋上を伝い何所へでも……。
「……逃げ果せる」
 はずだった。
「ヴィンセントの追跡を躱すとは上出来じゃないか」
 漆黒のマントがはためいている。昇り始めた下弦の月が、赤く輝いている。その人影は塔屋を背に目線の高さにある月を、ただじっと眺めていた。
「その声は……」
 メリーアンドリューは銃を構えた。
「今宵は月が綺麗だなぁ。死ぬのにはうってつけの夜だ」
 大丈夫だ。この距離なら絶対に外さない。メリーアンドリューは相手が振り返る瞬間を狙い、トリガーに掛かる指に力を入れた。
 
 しかし、それは敵わなかった。寸での所で照準が狂ってしまった。足に力が入らないのだ。それどころか、立つことすらままならなかった。馬鹿な……。メリーアンドリューはその場に崩れ落ちた。
「そうそう。僕、ひとりじゃないから」
 脛を撃ち抜かれていた。銃声が遅れて聞こえた。アウトレンジからの狙撃。出血がひどい。それでも震える腕で、銃を持ち上げる。
「そうか、お前達だったのかッ……」
 今度は銃を握る手を撃たれた。やれやれ、律儀なスナイパーだ。メリーアンドリューは、千切れかけた指を見て、思わず笑い出した。
「……何がおかしい。痛みで頭でも狂ったか」
「痛みは酷いが、気は確かさ」
「なら、なぜ笑う」
「いや何。俺の当て推量も満更じゃないな、と――ただそう思っただけさ。共謀者さん――いや精神異常者と言うべきかな」
 人影に先程までの余裕は消えていた。
「何の話かな」
「お前達に配ったカードの話だよ。大方、主人を探していると云ったところか。そう、一三人の幹部の中には裏切り者が居る。例えば、この俺だ」
 メリーアンドリューは左手でジャケットの内ポケットを探った。
「貴様が裏切り者……嘘だな」
「なら、さっさと始末を付けてくれ。正直、死ぬほど痛いんだ」
 人影は耳に指を当て、何かをぼそぼそと喋っている。どうやらスナイパーと通信しているらしい。
「できる訳ないよなぁ。もし裏切り者を――自らの主人を殺れば、共謀者の自滅は確定する。裏切り者なしでは、このゲームに勝利できないのだからな」
「ふん。それで強がっているつもりか。それに、仮にそうなら示せばいい。お前のカードの色を」
「お断りだね。そんなに見たければ、スパイでも雇いな」
「下らない。やはりブラフか」
 人影は懐からナイフを取り出し、掲げた。刃が月光を反射し、怪しく輝いている。
「俺も確証を得たぜ。お前は間違いなく共謀者だ」
「今更、遅い。貴様のカードなら、貴様を殺して確かめてやる!」
 人影がナイフを手に、にじり寄る。メリーアンドリューはただ座するばかり。だが、その目に恐怖の色はなかった。
 
 ナイフを逆手に持ち替え、振り上げる。その瞳はなんら感情を映さなかった。メリーアンドリューは、せせら笑った。
「そんな風に殺したのか。お前が愛したボスを」
 人影の動きが一瞬止った。
「俺の諜報能力をナメてもらっちゃ困るな。ボスの死後、お前は夜ごとボスの墓前へ赴いていた」
 人影は振り上げた腕を、力なく降ろした。
「その様子を目撃されたとして、なぜ俺がボスを殺したことになる」 
「お前は哀悼していたのではない。お前は懺悔していたのさ。まるで神に許しを請う咎人のように。人を殺めることに決して心を動かさないお前が、ボスの墓前で涙を流していた。それは、お前が決して犯してはならない罪を犯したからだ。罪名は親殺し」
 言葉はなかった。だが、その沈黙こそが人影の心境を雄弁に語った。
「図星だな。しかし解せないのは動機だ。なぜボスを殺した」
 
「……ボスがそうしろ、と僕に云ったんだ」
 声が震えていた。人影は泣いていた。
「なんだと……」
 メリーアンドリューは息を呑んだ。
「ボスは一三人の幹部のうち、誰がどんな思想を持っているか把握していた。裏切り者さえも」
「でなければ、幹部ひとりひとりに手紙など書けるはずがないからな。誰が保守派で、誰が改革派で、誰が裏切り者なのか、と。その上で、このゲームを思いついたのだろう。新たなる実力者を誕生させるために」
「その程度では、ボスを理解したとは言えない。ボスは組織の存続など望んでいなかった。ましてや保守派の繁栄、改革派の躍進など……。ボスにしてみれば保守派も、改革派も、裏切り者でさえも、そんな事は些細な問題に過ぎなかったのさ。貴様は、本当にボスを理解しようとしたことがあるか。ボスがどんな気持ちで、このクソみたいな裏社会を這い上がっていったのか、理解しようとしたことはあるか!」
「ないな……残念ながら」
「なら教えてやる。これは冗談なんかじゃなく、マジな話だ。ボスは愛していたんだ。僕たちを。ギャング達を!」 
 メリーアンドリューは、なぜだか優しい気持ちになった。今まさに、殺されようとしているにも関わらず。
「……そうか、俺はようやく理解した。これはそういうゲームか。ボスが望んでいたのは、そういうことか」
 人影は泣くのを止めた。そして再び、ナイフを振り上げた。
「君が理解してくれて、僕も嬉しいよ。メリーアンドリュー」
「そうか、ドン・カイシンが望んでいたものは……」
 そしてメリーアンドリューは、美しい孤を描き、振り下ろされる刃の軌道を見た。
 人影は優しげに微笑んでいた。首筋に突き立てたナイフを通じて、喪われゆく生命を感じ、その感覚に愛を見出すのだった。それが、その人影なりのボスへの報いだった。
 薄れゆく意識の中で、メリーアンドリューは改めて思った。一三人の幹部のうち、全員が全員、恐ろしく不器用なのだ、と。この人影にしても、誰かを愛することと、誰かを殺めることとが、ついに同義となってしまった。だが、それは仕方のないことなのだ。なぜなら、我らはギャングだからだ。言葉でなく、暴力で語り合う人種だからだ。ドン・カイシンが望んでいたものは、まさにその一点に尽きる。組織の存続だの、利潤の追求だの、我々ギャングは小利口になり過ぎてしまった。ギャングとは、つまり生き様のことだ。そして、ギャングに於いて、生き様とは死に様のことなのだ。それを、我々に判らせるためにドン・カイシンはゲームを始めた。自らの命と引き替えに。
 
 だから俺も、敬愛するボスに倣おう。メリーアンドリューは、左手の力を弛緩させた。ジャケットの内側で、安全ピンを抜いた手榴弾を握る、その左手を。
 
 
 
 
 翌朝、新聞の三面記事にバー・ジャックポットの写真が掲載された。殺人現場とされている。被害者はバー・ジャックポットの従業員と経営者、計四名――全員死亡。金庫が開けられ、金品が持ち去られていた点から、警察は強盗殺人事件と見て調査を進めている。
「ひとつだけ不可解な点があるんだよ――この事件」
 六六番分署、地域課の詰め所でマイヤーは壁に寄り掛かりながら新聞を読んでいた。次のパトロールまでの小休憩時間だ。
「どこにでも転がっている、犬の糞みてぇな事件だろ」
 相棒のディクソンはテーブルに着いてチョコレート・ドーナツをコーヒーに浸しながら、ムシャムシャと食っている。体格もそうだが物の食べ方も豚みたいだな、とマイヤーは思った。
「いや、それがね。昨日の晩、というか今日の明け方に、その事件現場に応援に行ったのさ。いつものように刑事連中に顎で使われて、俺は午前四時に死体運びの手伝いをさせられた」
「オチが読めたぞ。実は死体が生きていたんだろう」
 ディクソンはフレンチクルーラーの攻略に着手した。マイヤーは、ややうんざりしながら話を続けた。
「いやいや。死体はきっちり死んでいた。……って茶化さないで聞いてくれよ。俺が興味を持ったのは、四体の死体のうち一体についてなんだ。他の三体は一階のバーで射殺されていたが、その一体だけは、ビルの屋上で爆発に巻き込まれるような死に方をしていた。俺は、そいつが自殺したんじゃないかと踏んでいる」
「何故判るんだ」
「映画で見たんだよ。クリント・イーストウッドの戦争モノでさ」
「ほう。で、クリント・イーストウッドの戦争モノに出演した死体が、どうしたって?」
「問題はここからさ。その死体の胸に押しピンでカードが付けられていたんだ。丁度トランプくらの大きさだったかな。多分、死んだ後に付けられたのだろう。なぁ相棒、ちょっとしたオカルトだと思わないか。犯人はそのカードに一体どんなメッセージを込めたのか。気にならないか?」
 ディクソンは急にドーナツを食べるのを止め、マイヤーに向き直った。興に乗ってきたのかと思ったが、どうも違う。目がいつになく真剣だった。
「いや全く気にならないね」
「そ、そうか」
「それよか、そのカードの色、何色だった」
「はぁ? 気にならないって言ったじゃないか」
「そのカードが何色だったのか聞いているんだ!」
 ディクソンは急に怒ったようにテーブルを叩いて、立ち上がる。その拍子にマグカップがテーブルから落ちて、割れてしまう。
「……一体何だよ、急に。紫色だったよ。うろ覚えだけど鶏のマークみたいな模様が描かれていた。そんなに怒るこたないだろ」
「そうか。判った」
 ディクソンはおもむろに腰に下げていた銃を取り出し、点検を始めた。滅多に使わないが、実弾が込められているのをマイヤーは知っていた。
「よう相棒。一体何が判ったんだよ」
「運が悪かったな、マイヤー。お前は見ちゃいけないものを見たんだ」
 ――パン。六六番分署、地域課詰め所に一発の乾いた音が響いた。



ザ・ストーリー・オブ・ギャングスタ―パラダイス
ーTHE ENDー