ギャンパラ小説表紙

第10話 鉄と嘘 前編

 たった二日ぶりだというのにバー・ジャックポットの窓から漏れる灯りが懐かしかった。メリーアンドリューにとっては、それだけユニークな二日間だった。かつての仲間と再会し、旧交を温めた。嗚呼、懐かしき哉、血と硝煙の日々。ドン・カイシンの元で無法者として鳴らしたあの頃にふと戻ったような気がした。だからこそ、目の前にある自分の店が感慨深く映った。零細企業の社長として、仕事に追われ、部下を喰わせるだけで精一杯の日々が何故だか愛おしく思えるのだった。
「よう。帰って来たぜ」
 カランコロン、とドアベルを鳴らす。カウンターには見知った顔が数名。ビール一杯で何時間も粘るような悪質な連中だ。壁のテレビに映る野球中継をぼんやりと眺めている。
「お、お帰り、社長」
 白シャツにウェスト・エプロンを着けた少年が、目を丸くする。
「別に火星から帰って来たわけじゃないんだぜ。何を驚いてる」
 部下のひとり小心者のハリーだ。野ウサギのようにはしっこく、いつもキョロキョロしている。
「ヘイ、カモン。YOーYO」
 メリーアンドリューは店の隅に置かれたダーツ台に向かった。黒革のジャケットを羽織るドレッドヘアの黒人が口でリズムを刻みながらダーツを投げている。
「ダーツ台を使いたければコインを入れろ。こいつはお前の玩具じゃない。何度言ったら判るんだ」
 ふたり目の部下、ディックだ。筋肉だけは立派だが、頭が少し足りない。「わかりやした」とディックは渋々ダーツ遊びを止めた。
「お帰りなさい、社長」
 カウンターでバーテンを務めるのがトム。身なりもバーテン然としている。三人の部下の中では最も使える男だが、功名心が強すぎる嫌いがあった。ハリーの兄貴分で、ディックとは腐れ縁。三人は束になってようやく一人前だった。
「トラブルは起きなかったか?」
「ええ、何も。ただ……サーバーの調子が悪くて」
 トムがグラスにビールを注いでよこす。メリーアンドリューは一口飲むと、その不味さに思わずむせ返った。
「おいおい、こんなもの客に出したのか。これじゃ泡立った小便と一緒じゃないか」
 サーバーの冷却装置が壊れているようで、ビールはぬるま湯のようだった。
「あいつら、さっきから平気で飲んでるけどな」
 ディックは再びダーツを投げ始める。
「端からこの店に、酒の味なんて求めちゃいねぇよ」
 常連客のひとりがケケケと嗤う。
「トム! 修理屋を呼べ。まともなビールが飲めるまで閉店だ」メリーアンドリューは思わず声を上げた「お客さん、悪いが今夜は帰ってくれないか。代金は要らないから」
「そいつはありがてぇ。もういっそ、ぬるいビールの店にしちまえよ。そうすりゃ閑古鳥も鳴くまいて」
「おととい来やがれ。この酔っ払いめ」
 中指を立て客を追い出すと、メリーアンドリューは三人の部下に対し、どやしつけた。
「ハリー、ディック、それにトム。俺はお前達にこの店を任せると言ったが――この店を潰せをと言ったつもりはないぞ」
 三人は頭を垂れながらも、横目で互いを見合った。
「大体お前ら、どうしてこの店で働いてんだ。言ってみろ、ディック」
「……そりゃ、ギャングになりたくて」
「だったら俺の言いつけを守れ。ここはお前らが成り上がるためのステップ・ワンだ。俺もかつては、お前らみたいなギャングスタだった。だが、ドン・カイシンの元で働き、組織の幹部まで登り詰めた。俺が何を言いたいか判るか? ハリー」
「し、社長の元で働けば、そ、組織の幹部になれる……かも」
「その通りだ。――トム、何か言いたげな目をしているな」
「いいえ、別に。社長の言うとおりです」
「……ならいい。後は任せたぞ」

 メリーアンドリューは二階の事務所へ上がった。バーに居るのはトムとディックとハリーの三人だけ。
「こんな所にいて、本当にギャングになれるのかよ」
 ディックは再びダーツを投げ始める。
「なれる訳ないだろ。こんなシケた店じゃあな」
「だ、だけど社長はあのドン・カイシンの部下で、組織の幹部なんだろう」
 カウンターを片付けるハリー。トムはポケットから煙草を取り出し火を点ける。
「幹部と言ってもピンからキリまでいるさ。社長の場合はキリの方だろうよ」
「じゃあ、ピンの方は誰なんだ」
 ディックはボードに刺さったダーツをむしり取る。
「そりゃ――コパロンチーノ氏さ。七番街にドデカいホテルを持っているんだ。コパロンチーノ氏の元で働けば、きっと最高にクールなギャングになれるだろうなぁ」
「ま、マジで!」
「そうよ。お前なんかソッコーで童貞卒業できるだろうぜ」
 思わず顔を赤らめるハリー。ディックが話に乗り掛かる。
「いい女ともヤリ放題って訳か」
「ああ。いい車に乗って、いい服着て、いい酒飲んでさ。この街を天高くから見下ろすのさ」
 トムはカウンターの下に隠してある銃に手を伸ばした。
「それもこれも、全てはこの銃の使い方次第なのによぉ。メリーアンドリューと来たら……俺の言いつけを守れだのクソ役に立たないことばかり命令しやがって」
「し、社長にバレたらた怒られるよ!」
 トムはハリーの言葉に耳も貸さず、扉に向かって銃を構えた。

 カランコロンカラン。ふと、店の扉を開ける影があった。慌てて銃を隠すトム。ディックが立ち塞がる。
「閉店中だ。帰ってくれ」
 その男は枯れ草色のトレンチコートを着、頭をすっぽり覆い隠すようにフードを被り、革手袋を嵌めていた。
「ディック。彼は修理屋だ」
 トムはバーを出て、男の前からディックを押し退けた。
「夜分遅く悪いね。ビールサーバーの調子が良くないんだ」
 ディックは訝しむように男を見た。
「……お前、本当に修理屋か? 工具のひとつも持ってねぇな」
「おい。彼に失礼だろう」
 ディックは違和感に突き動かされるがまま、手を伸ばした。
「お前、顔を見せろ」
「ディック!」
「いいから見せやがれ!」 
 次の瞬間、何かが低く爆ぜる音がした。立て続けに三回。ディックは言葉を失い、そして崩れ落ちた。どさり――受け身もろくにできぬまま床に倒れ込む。伸ばした手が男のフードを掠め、捲れ上がった。シルバーグレイの長髪、口髭、左目に傷痕。
「うわ、うわぁあぁ!」
 ただ上擦った声を上げるばかりのハリー。何が起こったのか判らぬまま、理解を求めるように男を見る。だが、視線を合わせた途端、哀れなハリーは魂を抜き取られていた。
 銃口――それは死神の瞳だった。ハリーは銃口が煌めくのを見た。一度、二度、三度。そして、あ、と短く声を上げ、よろめくままに壁際へ後ずさる。そのまま力なくへたれ込むと、ハリーが立ち上がることは二度となかった。
 
「あんたが……ヴィンセント。殺し屋ヴィンセントか」
 トムは足の震えが止らず、もうほとんど立っているのがやっとの状態だった。あまりにも呆気なく、ひとの命が消える瞬間を目の当たりにして、今まで感じたことのない恐怖に駆られていた。
「な、なあ。これで俺もギャングになれるよな」
 ヴィンセントはシリンダーに弾を装填しながら、トムの話に耳を傾けた。
「仲間を売る代りに俺をギャングにしてくれる。あんたの雇い主とそういう約束を交わしたんだ。これで俺も、ついに……」
 トムは声を震わせながら、自らに言い聞かせるように呟いた。
「本当にそう思うか?」
「ど、どういう意味だ」
「容易く仲間を売る人間の言葉など、誰が聞く耳を持つか。お前はただ利用されただけだ」 
 装填を終えたヴィンセントが銃を構える。銃口をトムに向けて。
「そ、そんな。バカな……。冗談だろう」
「俺は冗談が嫌いだ。特に仕事中はな」
 ヴィンセントは躊躇なくトリガーを引いた。