ギャンパラ小説表紙

第9話 リトル・トーキョー

 この街の北側には港湾地帯が広がっている。港では荷役が汗を流し、市場では商人が声を枯らしている。この界隈には日系の移民が多い。誰もが皆勤勉に仕事に励んでいる。そんな町をひとはリトル・トーキョーと呼ぶ。そしてリトル・トーキョーを取り仕切るのがヤクザ――サカイ氏を組長とするサカイ組だった。ギャング団とヤクザとの関係は、ドン・カイシンが若く、まだほんの二〇代だった頃に始まる。先の戦争が終わり、占領軍が引き揚げていった街でドン・カイシンとサカイ氏は出会った。港湾地帯の闇市がふたりを結びつけ、以降、ギャング団とヤクザは共存共栄の関係を維持しながら今日に至るのだった。
 夕暮れ時、雑多なビルの谷間には人がごった返している。メリーアンドリューは人波を掻き分けながら進んだ。ひとに揉まれながら、ようやく目的の横丁へ辿り着く。軒先に赤提灯。『和彫り ほりゆり』と灯る。この店だ。
「ごめん下さい」
 縄暖簾を潜ると、そこは小料理屋の佇まいを見せる。白木のカウンターに、七つ、八つの腰掛け。カウンターにひとは居ない。が、奥の座敷に人影があった。散切り頭の若者が和服に身を包み、日本刀を抱えるようにして胡座をかいている。畳の上には徳利とぐい呑み。酒を注ぎ、一口に煽る。
「来たか。待ちくたびれたぞ」
 殺しを生業とする男シンドゥだった。酔っているようにも見えたが、眼はしっかりしている。
「どうして俺がここに来ると?」
「見なれぬ男がいると、町の者から通報があってな。その者の言う特徴に覚えがあった。そしたら案の定、貴様だった」
「もし訪れたのが俺ではなかったら?」
「敷居を跨いだ瞬間に、首が飛んでいたかもな」
「殺し屋シンドゥか……」
「いや、俺はもう殺し屋じゃない。今は用心棒だ」
「ほう。どういう風の吹き回しだ」 
 シンドゥはぐい呑みに酒を注いだ。
「俺のことはいい。それよりも貴様、何しに来た」
「ボスからの手紙をよこしに。お前とユリコ姐さんに」
「ふうん」メリーアンドリューはシンドゥに手紙を渡した。「ユリコ姐さんなら上に居る。だが仕事中だ。邪魔するなよ」
「ああ、判っている」
 メリーアンドリューは二階へ上がる階段を昇っていった。
 
 襖の向こうから男の苦悶に喘ぐ声が聞こえる。耳を澄ますと、ざっく、ざっくと鑿が皮膚を打つ音。凜と張り詰めた空気が漏れ伝った。
「それじゃ、今日はこの辺にしとこうかね」
 しばらくして褌を締めたひげ面の大男が現われる。何者だお前、とメリーアンドリューを一瞥した後、階下へと下ってゆく。背中には観音像。下絵が完成したばかりで、まだ色は入っていない。
「ユリコ姐さん。しばらくだね」
 部屋を照らす灯りは裸電球のみ。六畳ほどの部屋の中央には、布団が敷かれている。その周囲には墨やら鑿やらが取り揃えられている。
「アンタも墨を入れに来たのかい? ウチは和彫り専門だよ。メリーアンドリュー」
 髪を頭巾で隠し、着物をたすき掛けしたユリコが道具の後片付けをしていた。
「ボスからの手紙を渡しに」
「そんなら、ここで話すのも何だし、下行こうか」

「久し振りだね。息災だったかい」
 ユリコはカウンターに入り、茶の支度を始めた。メリーアンドリューは腰掛けに着いた。
「お陰様で、なんとか食いつないでいるよ」
「そう。それでボスからの手紙というのは」
 ユリコはカウンターに煎茶を出した。
「これだ」
 手渡された封筒を、ユリコは早速開いてみた。
「ボスも小粋なことをするね。私ら幹部に跡目を継がせるためとはいえ、こんなカードまで作って」
「赤が革新派、青が保守派、紫がチキンハート……」
 シンドゥが言葉を添える。ユリコは自らのカードを見た。
「黒が裏切り者で灰色が共謀者と言うわけだね」
「サカイ氏あってのドン・カイシンだ。あなた方ヤクザが組織を牽引してゆくという未来予想図も、ボスは十分に考えられていた」
 ユリコは煙管に煙草を詰め、火を点けた。
「有り難い話だけど、正直、今はそれどころじゃないね」
 ユリコは紫煙を細く吐いた。
「と言うと……」
 メリーアンドリューが言い掛けた矢先、店の戸が勢いよく開いた。
「姐さん! また奴らだ。ひとり撃たれやがった!」
 飛び込んで来たのは、ねじり鉢巻きをした作業員風の中年。その男の肩を借りて、茶髪のヤンキー風の男がもうひとり。顔を苦痛に歪ませて、肩から血を流している。
「座敷に寝かせな」
 銃で肩を撃たれたらしい。男が担ぎ込まれると、入れ替わるようにシンドゥが出てゆこうとした。
「待ちな。どこ行くんだい」
「俺は俺の仕事をしにゆくまでだ」
「今、いたずらに事を荒立てるのは私が許さないよ。戻りなさい、シンドゥ」
「……チッ」
 踏みとどまるシンドゥ。ユリコは焼酎の瓶を取り、座敷へ上がった。男の服を破ると、傷口が露わになった。
「弾が残っているね。気付けにこいつを飲みな。シンドゥ、道具を頂戴」
 ユリコは男に焼酎を一口飲ませると、そのまま傷口にどばどばと振りかけた。シンドゥが和包丁を取ってよこす。こうして『和彫り ほりゆり』は即席の野戦病院と化した。
 
 醤油皿に血にまみれた弾が転がっている。患部を縫い、ガーゼを当て、包帯で固定し、男の手術は終わった。中年に付き添われながらも、ヤンキー風の男は自ら歩いて、店を後にした。
「大体、察しは付いたと思うけど……」
 ユリコは血で汚れた畳を拭き終え、カウンターに戻った。
「抗争か」
「ええ。その通りよ」
 ユリコは吸いかけていた煙管に手を伸ばした。
「相手は」
 ユリコが煙草に火を点けている間に、シンドゥが答えた。
「チャイニーズ・マフィアだ」
「以前からこの街を狙っていたのよ。華僑を装いながら、ここリトル・トーキョーに勢力を伸ばしていったの。奴らの行動が派手になったのはボスが死んでからよ。それまでも小競り合いはあったけど、拳銃の出る幕はなかった」
「チャイニーズ・マフィア……。厄介な相手だな」
「このまま手を拱いていても、状況は悪化する一方。今後、怪我人も増えるだろう。いつまで事を荒立てずにいるつもりなんだ」
 シンドゥはふたりに背を向けるようにして、腰掛けに着いた。
「私とて状況を看過しているわけではない。だけど相手の挑発に乗ってもだめ。それこそ、相手の思う壺だもの」
「では、どう出るつもりなんだ」
 メリーアンドリューの問いに対し、ユリコはカードを出しカウンターに伏せて置いた。
「我々には味方がいる。今は打診している段階だが、きっと応じてくれる。先方の状況が整い次第……」
「待ちな」
 声の方を向くと、シンドゥが鯉口を切っていた。
「それくらいにしといた方がいいんじゃないか。ユリコ姐さん」
「シンドゥ」
「この男はまだ信用ならない。手の内を明かす必要はないだろう」
 済まなそうな表情を見せるユリコに、メリーアンドリューは明るい調子で応じた。
「他の幹部連中にも同じように疑われたよ。気にする必要はないさ。シンドゥの言葉の通りではないが、俺自身も姐さんが敵か味方か判らない。だが、ボスの考え――ヤクザが組織を牽引するというアイディアについて俺は反対しない」
 メリーアンドリューは席を立った。
「いずれにせよ俺の仕事はこれで以上だ。失礼するよ」 
「大したもてなしもできず、すまないね。またいつでも遊びにおいで」
 ユリコに手を振ると、メリーアンドリューは夕闇のリトル・トーキョーに消えていった。