ギャンパラ小説表紙

第6話 ギャングの拳

 赤コーナーにはイッシーノ。対する青コーナーにはスキンヘッドの巨漢。ドン・カイシンの元に集った偉人のひとり。かつて英雄と呼ばれた男――ダーティ・ポールだった。
 ゴングが鳴った。両者、リング中央に寄り、拳を合わせる。
「誰かと思ったらイッシーノじゃねぇか。ギャングを辞めて、レスラーにでも転職したのかよ」
「どこに居ようと、俺は生粋のギャングだ。街の中でも、リングの上でもな」
「ああ、そうかよ。だが残念だな。リングの上には俺とお前だけ。いざという時のギャングスタは居ねぇぜ」
「必要ねぇな。貴様ごとき、俺ひとりで十分だ」
「言うねぇ。久々に殴り殺したい気分になってきたぜ」
「できるもんなら、やってみやがれ!」
 イッシーノ、踏み込む。連打、連打、連打!
 ダーティ・ポールは亀のようにガードするばかり。イッシーノは執拗にボディを攻める。やがてロープ際。もう後がない。
「これで終わりだ!」
 イッシーノ、拳を振り上げる。ダーティ・ポールの顎にアッパーカットが炸裂。身体ごと宙に浮き、そのままロープへしな垂れる。このままノックアウトか、と思いきや……。
「……何だ今のパンチは。まるで蚊が刺したみたいだぜ」
 身体を仰け反らせたまま、ダーティ・ポールは嗤った。
「何?」
「次は俺の番だな」
 がしりと両手でイッシーノの頭を掴むと、ダーティ・ポールはロープで弾みをつけた頭突きをお見舞した。その勢いでイッシーノ、リングの反対側まで吹っ飛ぶ。サングラスが割れ、額から血を流している。ドゥームにノックダウンはない。どちらかが戦闘不能になるまで死闘は続く。
「やるじゃねーか」
 イッシーノは額から流れた血を親指で拭い、ぺろりと嘗めた。仁王立ち、胸の前で両腕をクロス。全身に気を巡らせるように拳を引く。すると、全身の筋肉が急に活性化したかのように隆々と盛り上がる。
「面白ぇ。来な」
 先程とは比較にならないほどのスピード。速すぎて拳が見えない。判るのはインパクトの瞬間、肉と肉がぶつかり合う音だけだった。その音も凄まじく、闘技場の空気がびりびりと震えるほどだった。
 次の瞬間――時が止った。
 クロスカウンター。互いの拳が、相手の顎を捉えている。イッシーノ、ダーティ・ポール、両者持ちこたえる。こいつは効いたぜ、と言わんばかりに一度ロープ際へ下がる。パワーはダーティ・ポールに分があった。スピードと正確さにおいてはイッシーノが上回っている。しかし、連打で相手を追い詰めるには、スタミナが持たない。次、ダーティ・ポールの一撃を喰らったら……。イッシーノは追い込まれていた。
「どうした。仕掛けてこないなら俺からいくぜ」
 腕をぶんぶん振り回してダーティー・ポールが突進する。イッシーノ、身構えるも意味を成さない。死神が大鎌を振う。プロレス技、レインメーカーだ。
 マットに沈むイッシーノ。闘技場の観客は沸きに沸く。「コ・ロ・セ! コ・ロ・セ!」の大合唱。コロッセオがそうであったように、ドゥームもまた生殺与奪の権利は観客にあった。かつてコロッセオの剣闘士は、倒した敵にとどめを刺すかどうか、観客に伺いを立てた。親指を立てれば生かしてやれ、下げれば殺せの合図だった。今、闘技場の観客は一様に親指を下げ、敗者を殺せと叫んでいる。
「あばよイッシーノ。あの世に行ったら、ドン・カイシンに伝えてくれ。お前の事なんてカス程度にしか思っていなかった、てな」
 リングにハンマーが投げ込まれる。これで殺れ――観客からのオーダーだった。ダーティ・ポールはハンマーを拾い上げた。

 振り下ろされるハンマー。イッシーノ、意識を取り戻す。紙一重でハンマーを躱す。全身のバネを使って起き上がる。ダーティ・ポールの後頭部へ延髄切りをお見舞。隙を突かれたダーティ・ポールはよろめきながら、相手を睨む。
「クソッ! 目を覚ましやがったか」 
「テメェ。今さっき何て言った」
「ああん?」
「俺の聞き間違じゃねぇよな。確かお前――」
 ダーティ・ポールは唾を吐き捨てた。
「ドン・カイシンなんてカス程度にしか思っていなかったぜ」
 ブチン。何かが切れる音がした。
「ドルコスト三風情が、ボスに向かってナメた口聞いてんじゃねえぞ、ゴルァ!」
 イッシーノの背後に、どす黒いオーラが立ち昇る。オーラを纏いながら、ゆっくりと歩み寄る。
 馬鹿な男め、何度やっても無駄なことだ――とダーティ・ポールは首を横に振る。すると、イッシーノの姿が視界から消えた。速い! 次にダーティ・ポールが見たものは砲弾のような拳だった。回避不能。脳みそがシェイクされるような感覚。そして、ブラックアウト。
 
「冷や冷やしたぜ、イッシーノ」
 控え室にコパロンチーノとメリーアンドリューが現われる。試合はイッシーノの逆転勝利で幕を閉じた。ダーティ・ポールは病院送りとなった。
「リングの上で殺しはしねぇよ。ボスを侮辱された時は、つい頭に血が昇っちまったがな」
 グローブを取り、汗を拭う。アドレナリンがそうさせるのか、額の傷は早くも治りかけていた。
「俺はてっきり、ハンマーで殴り殺されるかと思ったよ」
「バカ言うな。俺を誰だと思っている。不死身の男、イッシーノ様だぜ」
 まあいいさ、とコパロンチーノは肩を叩いた。
「よう、相変わらず凄いパンチだな」
「メリーアンドリューか。何の用だ」
 ジャケットから例の手紙を取り出す。
「君の敬愛するボスからだ」
「なんだそりゃ」
 イッシーノは手紙を破り、中身を確認する。すると、先程まで全身を覆っていた汗が一瞬で引いていった。
「……メリーアンドリュー。今日は来てくれてありがとうよ。後で一緒に飯でも食おう。昔話に花を咲かせようじゃないか。なぁ、コパロンチーノ」
「オフコース。今夜はもう遅いから、部屋を用意させてもらったよ。泊まっていくだろう?」
「なんだか悪いな」
「ノープロブレム。俺たち、仲良くできるかもしれないんだろ?」
「そ、そうだったな……」
「オーケィ。それでは、ミスタ・メリーをスィートへご案内してあげて」
 コパロンチーノが指を鳴らすと例の女が現われる。メリーアンドリューは女に腕を取られると、そのまま控え室を後にした。

 シャワーを浴び、スーツに着替えたイッシーノは、コパロンチーノと共に円形の部屋に戻っていた。
「新しいボスの座――喉から手が出るほど欲しいだろう」
 イッシーノは勝利の余韻に浸りながら、ゆったりと葉巻を燻らせている。一方のコパロンチーノは、水槽の魚を見つめていた。
「まあね。それが夢の実現には、最もスピーディな手段だからね」
「その夢、加担させてもうらおう。俺も革新派だ」
「それは心強い限りだ」
「だが、気がかりな点もある」
「イグザクトリィ。君はよく判っているね」
「メリーアンドリューだ。奴は幹部全員に手紙を配っている」
「彼の言うことは信用ならないね」
「裏切り者か……」
「もしくは、その手先の共謀者という可能性もある」
 コパロンチーノは水槽からイッシーノに視線を移した。
「そうだとしたら、どうする」
 イッシーノは愉しげに尋ねる。コパロンチーノは腕を組み、神経質そうに指で叩いた。
「その時は……しかないだろう」
「なんだって? よく聞こえねえよ」
 コパロンチーノは腕を解き、拳を作って声を上げた。
「その時は殺すしかないだろう、と言ったんだ!」
「ハッ! そう来なくっちゃ。安心しな、その時が来たら、きっちり働いてやるよ。お前は金集めに専念するがいいさ」
「た、頼んだぞ。イッシーノ」
 不安げなコパロンチーノと余裕綽々のイッシーノ。赤い心臓を持つふたりがタッグを組み、ここに革新派のチームが誕生した。