ギャンパラ小説表紙

第2話 秘密の花園

 頬を切るような風。鉛色の空。慈悲の欠片も見当たらない冬の日だった。メリーアンドリューは愛車プリマスを駆り、街を流していた。カーラジオを着け、ダッシュボードの煙草に手を伸ばす。迷いのない一連の動作に、ふと我に返る。若かりし頃に身に付けた所作。現役復帰――そんな言葉が頭を過ぎり、思わず苦笑を漏らした。
 車は軽快なスピードで街の中心部へ。ビル群の中でも一際高く聳えるのが、カイシン・タワー・ビルディングだった。車を地下駐車場へ止め、エントランス・ホールへと向かった。
「失礼ですが、ここから先は……」
 やにわにフロント係の男に止められるが、メリーアンドリューは、そうではくては困ると、笑顔を装った。そして彼の肩を軽く叩いて、こう告げた。
「メリーアンドリューが来たと伝えてくれ。ズン・アミカポネに」
 フロント係の男は急に青ざめて、取るものもとりあえず電話を繋ぎに繋いだ。しばらくして「こちらへ……」と声が掛かり、メリーアンドリューは最上階へ通じるエレベーターへと案内された。
 
 階数を示すデジタル表示が忙しなく動き、九九で止った。エレベーターの扉が開くと、サングラスを着けた黒服の男が出迎えた。長く続く回廊は、幾何学模様に敷き詰められた大理石の床と、漆喰の白壁で覆われていた。間接照明がそれらを柔らかく照らしている。
 いくつかの扉を横目に通り過ぎ、中でも一番大きい扉の前で止った。黒服が扉を押し開けると、視界が大きく開けた。目の前に広がるのは、緑溢れる庭園だった。
「こんな場所があったとはな……」
 メリーアンドリューが一歩足を踏み入れると、そこは紛れもない土の地面だった。川のせせらぎが聞こえ、蝶が舞っている。そこはビル内部に作られたビオトープだった。
「そこに居るのは判っているのよ、アミカポネ! 私が退治してやるから、出てきなさい!」
「参りましたな。せっかくうまく隠れたと思っていたのに……」
 茂みの奥から声が聞こえる。メリーアンドリューは音を立てないように声の元へと近づいていった。
「観念なさい。私の足下に跪いて、命乞いをするのよ」
「ど、どうか命だけはお助け下さい。お嬢様」
 少女がいた。銃を手にしている。眼前にはスーツを土埃で汚し、丸眼鏡を曇らせた、禿頭の男。
「ダメよ。汚らわしいギャング共は私が一掃してやるんだから!」
 そう言って少女は銃のトリガーを引く。紙風船が爆ぜるような軽い音と共に発射されたのは、吸盤の付いた玩具の弾だった。
「ぐわー、やられた~」
 弾は見事命中し、禿頭にくっついている。地面に転がり両手足をバタバタさせる、この男こそがズン・アミカポネだった。ボスの右腕として活躍した組織のナンバーツー。それが今では……。メリーアンドリューは肩の力を抜き、知己を尋ねる素振りで声を掛けた。
「お久しぶりです。アミカポネさん」
 予期せぬ第三者の声に小動物のように反応したのは少女だった。素早く木陰に身を隠し、不安の色を宿した目だけは、じっとメリーアンドリューを見つめている。ショートボブに切り揃えた黒髪、血色を欠いた素肌、黒いワンピース、細い脚、エナメルの赤い靴。その少女の名はビッグハッピー。ドン・カイシンの孫娘だった。
「何の用だ。メリーアンドリュー」
 スーツの土埃を払いながら、アミカポネは立ち上がった。メリーアンドリューよりも頭一つ背が高い。先程までの無邪気さは微塵もなく、丸眼鏡の奥の瞳は血走り、殺気に充ちていた。
「仕事だよ。あんたに届け物だ」
「……アミカポネ」
 ビッグハッピーはおずおずと茂みから出で、アミカポネのスーツの裾を引っ張った。
「お嬢様、心配には及びません。この不届き者は、カイシン様の部下にございます。我々の味方でございます」
「私、あなたを覚えているわ。三年前のクリスマスの時だったかしら。お爺さまと幹部の皆様と一緒に食事会をしましたよね。その時いらっしゃった……」
「お久しぶりです、お嬢様。お会いするのは三年ぶりですね」
 メリーアンドリューが会釈を送るも、アミカポネは身体を割り込ませ、その視線を遮った。
「仕事の話だったな。こっちで話そう」
 アミカポネは頭に付いた吸盤の弾を取り外すと、ビッグハッピーに手渡した。次いでメリーアンドリューの腕を取り、その場から歩き出した。
「おい、なんだよ急に」
「次、お嬢様にナメた真似したら貴様、海に沈めるぞ。判ったな」
 何度、このドスの利いた声に胆を冷やしたことか。今も尚、ズン・アミカポネはズン・アミカポネだった。

「それで、これがカイシン様からの手紙という訳か」
「ああ。そいつを渡すのが俺の仕事だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「もう一通は?」
「お嬢様の分だ」
「俺が渡しておこう」
「それじゃ、頼んだぜ」
 踵を返すメリーアンドリューに、アミカポネが声を掛けた。
「待て。貴様の心臓の色は何色だ」
「それを知ってどうする。背中からいきなりドスンなんてのは勘弁だぜ」
「違う。そうではない。俺の色は青――つまり俺は保守派の人間だ。そして、ボスの座を手に入れるのも保守派だ。だが、その座に着くのは俺ではない。彼女だ」
 アミカポネの視線の先にはビッグハッピーがいた。
「この際だから言っておこう。俺はな、お嬢様を新しいボスに擁立するつもりだ。お嬢様には偉大なるボス、ドン・カイシンの血が流れている」
「おいおい、彼女まだ一六歳の小娘じゃないか。組織のボスなんて、いくらなんでも無茶だぜ。それにアミカポネ、お前……」
「……判っているさ。両親を早くに亡くされたお嬢様を、幼少の頃からずっと側で見守って来たんだ。誤解を恐れずに言うのなら、俺はお嬢様に対して父親にも似た感情を抱いている。唯一の肉親だったカイシン様を亡くされ、ああ見えてお嬢様は傷ついているのだ」
「だったら尚更」
「お嬢様は、カイシン様の死から一度も、このビオトープの外へ出ようとしないのだ。生前、カイシン様が愛したこの秘密の花園からな。私はお嬢様を救いたいのだよ。望むと望まざるとに関わらず、我々のような人間は、このクソみたいな街でしか生きることができないのだ。残念ながら、それはお嬢様も然りだ。であるのならば、このクソみたいな街を少しでもマシにするのが、残された者の役目というものだろう」

 メリーアンドリューは何も言い返せなかった。ただ、悲しげなアミカポネの横顔と、それとは対照的に屈託のない微笑みを浮かべるビッグハッピーとが、やけに印象的に映って見えた。
「そうだ。貴様に良いものを見せてやろう」
 去り際、アミカポネからのひと言があり、ビオトープを後にしたメリーアンドリューは別の一室に通された。
「驚いたな」
 その部屋にあったのは一脚の椅子。裏社会に於ける、ただひとつの権力の象徴。歴代のギャングのボスが、その椅子に着いたとされる伝説のアイテム。それは『ザ・ボス』と呼ばれる、黄金に輝く椅子だった。
「これさえあれば、あとは街の勢力を集めるのみ。かつてのボスがそうであったように、我々もまた人徳の力で成り上がるつもりだ。どうだメリーアンドリュー、我々保守派に付き従わないか。悪いようにはしないぞ」
「ありがたい誘いだが、この仕事が終わるまでは好きにやらせてもらうよ。それと、これだけは断言しておくが、俺はあんたの敵ではない」
「ふん。まぁいいだろう。精々、頑張ることだな」
 メリーアンドリューの背をアミカポネはじっと見送った。冬の日差しがレンズに反射し、瞳の色を隠していた。